ふたつの尾根に囲まれた【王者の立地】中尾山古墳! その谷の先に存在するのは? 近鉄・近畿文化会 臨地講座 人気講師と行く飛鳥 シーズン3第10回
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- Опубликовано: 7 сен 2024
- 「近鉄・近畿文化会 臨地講座 人気講師と行く飛鳥」シーズン3 第10回目の今回は、中尾山古墳からお届けします。
ふたつの尾根に囲まれた、まさしく「中の尾根」に存在する中尾山古墳。尾根を従え、堂々とそびえるその姿は「王者の古墳」の名にふさわしい風格です。今回の動画では、普段は見落とされがちな中尾山古墳の「立地」について、臨地講座でも超人気の講師・来村多加史先生に詳しく解説していただきます。スイートポテトのような形状の中尾山古墳が乗る尾根の先に見えるのは、一体何なのか。
このシリーズは、近鉄の文化事業・近畿文化会からの講師派遣と企画協力により制作しております。
近畿文化会は、文化冊子『近畿文化』を毎月発行し、専門の先生のご案内で社寺や史跡などを訪ねる現地見学会(臨地講座)を月に2回開催することを軸に活動しています。詳しい情報は下記のリンクからご覧ください。
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昨日、拝見しましたら、今日の朝日新聞デジタル版で6日に東京でシンポジウムがあった事が掲載されていました。梅前さんのRUclipsはとても勉強になりました。ありがとうございます。私は明日桜井市図書館での纏向学セミナーに行ってきます。
>昨日、拝見しましたら、今日の朝日新聞デジタル版で6日に東京でシンポジウムがあった事が掲載されていました。
かんだい明日香まほろば講座「最後の天皇陵古墳」ですね!
本当に本当に行きたかったのですが、どうしてもはずせない用事があって、今回は参加を見送りました。中尾山古墳でしたしね~(T_T)
纒向学セミナー、来村多加史先生御登壇ですよね! 羨ましい~私も行きたいです!
@@umemaeSakiko 様 来村先生のお話し、満席でした。これから東京へ行き明日は栃木に行くそうで、ネクタイ・スーツ姿で若々しく見えました。梅前さんのRUclips登場の時とはまた違う北村先生にお会いできて良かったです。
来村先生の仰るように、昔は登って見学できました。懐かしくお聞きしました。
天武の聖なるライン上に乗る古墳ですね。
先日、有楽町朝日ホールで開催されました関西大学・明日香村主催の「かんだい明日香まほろば講座・最後の天皇陵-火葬と改葬ー」で、中尾山古墳が取り上げておられました。拝聴いたしましたが、なかなか有意義な時間でした。
パネラーの方々のお話しをもっと聞きたかったのですが、時間が短くて残念でした。
宮内庁が現在治定されている文武天皇陵が、どのような経緯で現在の場所になったかも取り上げられており、興味深かったです。
五角形の件ですが、治定されている範囲が五角形で、陵墓地形図を見ると、小規模な円墳状の高まり(径15m、高3.5m程度)があり、その後ろが台形上の斜面になっているようです。
コメントありがとうございます♪
かんだい明日香まほろば講座、行かれたんですね。私は所用があり行くことができませんでした。とても残念でした。
宮内庁治定の文武天皇陵は、小規模な円墳なのですね。ただ、火葬されているので古墳の規模で測れないのが難しいところです。来村先生の説でいけば(動画の中でも説明下さっていましたが)、谷を存分に使って造られた中尾山古墳こそが王者の古墳にふさわしい、ということになるのですが、こればかりは断定することができないのがもどかしい限りです。
おはようございます
学生の頃^o^
"古墳時代"の言葉は知るけど
今、梅前さんのRUclipsと
来村先生のRUclipsの登録と👍は
欠かすことはありません^o^
本日も楽しく観ています
頑張って下さい
嬉しいコメントありがとうございます♪
お励ましに応えてこれからも頑張りますので、どうぞよろしくお願いいたします(^-^)
ありがとうございます!
いつもありがとうございます! 嬉しいです♪
スイートポテトの尾根にある古墳、わかりやすいです。一等地ですね。
墳頂部のくぼみ、盗掘でしょうか?次回は石室や墳形についての説明ですね、楽しみです😊
墳頂部のくぼみは、江戸時代の記録(『元禄十丁丑年山陵記録』)によれば、すでに当時存在したとされ、天井石も当時から露出していたようで、やはり盗掘孔とされているようです。当時は欽明陵かとの説もあったようですが、その数十年後に記された記録では、文武ん天皇の名もあがっているようです。
次回もどうぞお楽しみに♪
先月、訪問しましたが、古墳は木々の中に埋もれていて全容があまりよく見えませんでした。こうして映像を見ると、草木が散った季節に行くのがBESTのようですね。
>草木が散った季節に行くのがBESTのようですね。
そうなんです。夏は草ぼうぼうですし、立ち入り可能な古墳も虫や蛇が怖いです。この動画の撮影を行ったのは実は今年の2月なのですが、おっしゃる通り、葉が落ちていて見やすいですね。
中尾山古墳の周辺は紅葉の名所でもありまして、秋は紅葉がとても綺麗です。秋もおすすめです♪
昔は地形を意識しないで歩いていたので、この尾根のせいで遠回りだし歩きづらいし迷子になりそうっていう不満を感じていました、高松塚の隣の尾根って知ると、見えかたも違ってきますね。
ところで「文武天皇陵古墳」のほうですが、現代の道路が背後を切っているおかげで、航空写真を見ると五角形をしています。八角形墳よりもレアですよ。
>ところで「文武天皇陵古墳」のほうですが、現代の道路が背後を切っているおかげで、航空写真を見ると五角形をしています。
航空写真、見てみました! ホントですね! なんか、子どもが描く「おうち」のような形。墳形をなぞった可能性は高くないかもしれませんが、確かに五角形。ご教示ありがとうございました♪
今回も勉強になりました。
こういう立地になっていたんですね😮 実は先週末にここにも立ち寄ったのですが、いつも逆側から登っていくので、こういう地形がよくわかりませんでした。先にこの動画を拝見してたらなー。まあ、駅からも近いですし、また行って実感してみます。
いつもありがとうございます♪
中尾山古墳は、歴史公園館側から上ると結構な急登ですよね。来村先生がおっしゃるには、あれが尾根の先っちょ(スイートポテトの美味しいところ)だそうです。先っちょをぐるりと回っていく道もありますよね。今頃は紅葉が青々と茂っているでしょうね。また素敵な写真をよろしくお願いします♪
なるほど、飛鳥駅からではなくこちらから登ると分かりやすいのですね。そして先に欽明陵そのまた先に丸山古墳というわけですね。天皇陵として最高の立地だとわかりました。景観を感じながら古墳を歩くのは最高です。本当にいつもありがとうございます。
>なるほど、飛鳥駅からではなくこちらから登ると分かりやすいのですね。そして先に欽明陵そのまた先に丸山古墳というわけですね。天皇陵として最高の立地だとわかりました。
コメントありがとうございます。
県道のほうから上ってくる場合は、「スイートポテトの端」についている階段はけっこう急なので、尾根の端に沿うように上る道を使うのがいいかもしれません。
谷の先に平田梅山古墳というのは、来村先生に説明されて初めて気が付きました。古墳は石室や構造も奥深いですが、立地もまた知れば知るほど興味が尽きません。
3つの尾根のうち右側の尾根には古墳がないようですが、適さなかったんですかね。
>3つの尾根のうち右側の尾根には古墳がないようですが
おおっと。確かにそうですね! もしかしたらもしかして………!
中尾山古墳の立地は極めて特徴的ですよね。
生前、持統天皇一族に手厚く庇護されていた状況そのまま
死後の世界でも同様に扱われているように見えます。
文武天皇のイメージそのままです。
>生前、持統天皇一族に手厚く庇護されていた状況そのまま
死後の世界でも同様に扱われているように見えます。
おっしゃる通りですね。ふたつの尾根に守られた、穏やかな場所。文武天皇のありようにこれ以上ふさわしい古墳はないような気がします。いや、そのありようこそが、文武天皇を短命たらしめたのではないかとすら思えてきます。
民草1号:皇女おはようございます。
いつか、未盗掘の大発見に巡り会える場に皇女が居られるといいナなどと夢見ています。
>いつか、未盗掘の大発見に巡り会える場に皇女が居られるといいナなどと夢見ています。
うわぁ、そうなったら嬉しいですね♪ 飛鳥にはまだまだ知られざる古墳が眠っているような気もします。
大陸や半島では墓誌を入れる習わしがありました。その渡来人が日本🗾に来ると、その風習は全く無くなりました! 不思議なことですね!?
>大陸や半島では墓誌を入れる習わしがありました。
おっしゃる通り、それがないのは不思議ですね。茶畑から見つかって大騒ぎとなった太安万侶の墓誌などは、遣唐使が持ち帰った知識に基づき作成されたものと思われます。古墳時代に墓誌が見られないのは、木に書いたから消滅してしまったのか、それとも別の理由があるのか、浅学にしてわかりません。
横から失礼いたします。
日本では、天皇に仕えた方々(僧や将軍などなど)の「火葬墓」から墓誌が多く見つかっていますね。太安万侶もその一例ですね。
中尾山古墳も火葬墓、もしくは改葬された陵墓と考えられますので、どこかで骨蔵器と共に墓誌が発見されれば面白いですね。
何度もシツコイようですが、母は明日香村(字平田)出身でした。 明日香村に統合される前は「阪合村」と称していました。「阪合村」であって、「坂合村」ではなかった。 「坂」ではなく「阪」を使ったのは、「大坂」が「大阪」に変わったようなものでしょうかね。 「平田」という字名にしても、「阪合村」という村名にしても、どこにでもありそうな地名ですね。
昔の記憶はもうかなりおぼろげなのですが、高松塚の近くに「阪合小学校」が存していたように思います。小学校は統合されたのか、どなたか、教えてください。 昨年、年下の従弟がなくなり、明日香村には親しい血縁者は無くなりました。(CAM)
コメントありがとうございます。
「坂」という字を避けたのは、「土に返る」すなわち「死」というイメージを払拭するためだったという説があります。言葉遊びのようですけれど、さすが言霊の国という気もします。
中尾山ってそういう語源だったんですね。また、賢くなりました。(^^)
>中尾山ってそういう語源だったんですね。
そうなんです! 私も初めて知りました! こういう「おお」っていう発見があるから古代史はやめられません♪
宮内庁が陵墓と認定する前に掘りに行かなきゃ!
>宮内庁が陵墓と認定する前に掘りに行かなきゃ!
まあ、宮内庁はあの南側にある「檜隈安古岡上陵」を文武天皇陵としているので、それを変更することはないと思います。中尾山古墳の発掘調査の成果については、後編での来村先生の解説をお楽しみに♪